神田沙也加さんんと母親の松田聖子さんの関係性については、
数年前から不仲で絶縁状態にあるという情報があります。
今回の記事では、神田沙也加さんと松田聖子さんが絶縁(確執)している理由について調査しました。
目次
神田沙也加と松田聖子の絶縁(確執)理由は?2人の関係を調査!
神田沙也加さんと松田聖子さんの関係が絶縁(確執)状態にあるという噂について、以下の9つの理由があると言われています。
<絶縁状態となった理由>
- 特殊な幼少期
- 中学時代の壮絶ないじめ
- 継父との渡米を拒否
- 松田聖子のスキャンダル
- 勝手な活動休止
- ギタリストとの交際に猛反対
- 村田充との結婚に猛反対
- 紅白共演での嘘泣き
- 事務所問題
特殊な幼少期
神田沙也加さんは俳優の神田正輝さんと歌手の松田聖子さんという大物夫婦の間に生まれました。
神田正輝さんと松田聖子さんが結婚した当時、結婚式も地上波で放送されるなど、2人はかなり注目されていました。
結婚式の視聴率はなんと35%というから驚きですよね。
このように父親と母親が注目されている状況だったため、もちろん神田沙也加さんも幼少期から、かなり注目されて特殊な環境で育っています。
<特殊な環境>
- 学校の行事である林間学校には、松田聖子さんのマネージャーが同行していた。
- 学校の運動会が開催される日には、松田聖子さんのために学校側が警備体制を敷いていた。
- パパラッチから逃れるために、パパラッチが何をした場合に違法になるのか神田沙也加さんに教えていた。
など
中学時代の壮絶ないじめ
神田沙也加さんは私立の名門中学校に進学して、寮生活を行っていましたが、松田聖子さんの子供ということもあり、中学校時代に壮絶ないじめを受けています。
いじめの内容は以下の通りです。
- 夕食を終えて自室に戻ると、布団が濡らされていて寝ることができなかった。
- 下着を盗まれて、見世物にされていた
など
とにかくひどい内容のいじめが続いていたそうです。
退寮後も同学校に通っていましたが、最終的にはその学校を退学して、松田聖子さんが拠点としていたロサンゼルスに移住して、別の学校に転校しました。
ただし、すぐに英語を話すことができるわけもなく、学校で馴染むことができなかったそうです。
松田聖子さんも多忙な時期で、ほとんどの時間を継父の波多野浩之さんと過ごすことになり、
アメリカでの生活が苦しくなり、再度、日本に拠点を移すことになりました。
その後も中学校を2回転校するなど、とても辛い中学校生活だったと言われています。
継父との渡米を拒否
神田沙也加さんが11歳(小学校5年生)の頃、神田正輝さんと松田聖子さんが離婚することが発表されました。
その後、松田聖子さんは歯科医である波多野浩之という男性と再婚することになります。
神田沙也加さんは小学校を卒業後に、中高一貫校の学校に通うことが決定していました。
中学校に入学してまもなく、松田聖子さんの仕事の拠点を海外(アメリカ)に移すことが決まり、神田沙也加さんも一緒に渡米するのか悩んでいました。
ただし、神田沙也加さんは継父と一緒に渡米することに当時抵抗感があったという理由から、渡米しないことを決断しています。
松田聖子のスキャンダル
松田聖子さんは昔からスキャンダルが多かったことでも知られています。
神田正輝さんと離婚してから、以下の男性との交際/結婚などが噂されました。
- ジェフ・ニコルスさん:松田聖子さんの担当英語講師(交際のみ)
- アラン・リードさん:松田聖子さんの元バックダンサー(交際のみ)
- 波多野浩之さん:歯科医師(2回目の結婚相手)
- 河奈裕正さん:慶應大学の准教授(3回目の結婚相手)
スキャンダルが繰り返されてきました。
交際が報道されるたびに週刊誌やメディアからの取材が神田沙也加さんにも入っていたのではないでしょうか?
以下のような記事も報道されています。
「沙也加が10代の頃から断絶と修復を繰り返してきた二人の関係ですが、ここ数年は最悪な状況だと聞いてます。恋愛に奔放な聖子に、沙也加は幼い頃から振り回され続けてきました。転校を繰り返し、イジメにも遭ったそうです。しかし娘の恋愛に関しては、聖子は厳しく、沙也加が連れてくる相手にことごとく反対したんです」
引用:フライデーより
神田沙也加さんは幼少期から松田聖子さんに振り回されて、とても辛かったのではないかと考えられますね。
勝手な活動休止
神田沙也加さんは1999年から芸能活動を開始していますが、2005年に突然の活動休止を発表しました。
活動を休止した理由は、
- 神田正輝さんと松田聖子さんの子供であるという二世タレントの位置づけで辛い
- 世間からのバッシングに耐えられなくなった
などと言われています。
ここで問題になったのが、神田沙也加さんは活動休止することを事前に松田聖子さんに報告していなかったようです。
当時の情報によると、神田沙也加さんの言動に松田聖子さんが激怒して、2人の間ではかなりの問題となり、警察沙汰になるほどの激しい喧嘩だったそうです。
神田沙也加さんと松田聖子さんは同じ事務所に所属していたこともあり、その出来事による事務所の世間体などを気にした松田聖子さんが、勝手な行動を取った神田沙也加さんのことを許せなかったのだと思われます。
ギタリストとの交際に猛反対
神田沙也加さんは活動休止を発表した2005年に、デイアフタートゥモローのメンバーとして活動していたギタリストの北野正人さんとの交際が報じられました。
2人が出会ったきっかけは、北野正人さんが神田沙也加さんに楽曲(『水色』、『弦の月』)を提供したことだったと言われています。
この頃、北野正人さんはバツイチで、年齢が神田沙也加さんの12歳上ということもあり、松田聖子さんが2人の交際に猛反対したそうです。
それがきっかけとなり2人は破局しています。
神田沙也加さんからしたら、松田聖子さんは自由に恋愛を楽しんできたのに、なぜ自分だけ恋愛を制限されなければいけないのか、不信感を抱いていたのかもしれませんね。
村田充との結婚に猛反対
神田沙也加さんは2017年に、俳優の村田充さんと結婚しています。
この結婚に対しても、松田聖子さんは猛反対していたそうです。
その理由は、村田充さんが無名の俳優だったからとのことです。
おそらく常に世間体を気にする松田聖子さんが、もっと有名な俳優と結婚して欲しいという想いがあったからなのでしょうか。
そんな松田聖子さんの反対を押し切って結婚した神田沙也加さんですが、結婚式には神田正輝さんの姿しかありませんでした。
反対された神田沙也加さんが松田聖子さんを招待しなかったのか、松田聖子さんが行かなかったのか真相はわかりませんが、相当な溝が生じていたことは間違いなさそうです。
週刊誌では以下のように報じられています。
「もはや聖子と沙也加の関係は修復不可能なんです。そもそも村田との結婚式にも披露パーティにも、沙也加は聖子を呼びませんでした。それほど親子の断絶は深いんです」
引用:フライデーより
松田聖子さんが自分自身を否定するので、神田沙也加さんも嫌になったのかもしれませんね。
紅白共演での嘘泣き
2011年の紅白歌合戦で、神田沙也加さんと松田聖子さんは共演を果たしています。
当時、松田聖子さんは娘と共演できたことがとても嬉しくて涙したと話題になりました。
しかし、後日それは嘘泣きだったという内容が週刊誌で報じられました。
この頃には、すでに神田沙也加さんと松田聖子さんの関係性は悪くなっていたため、あれは嘘泣きだったと感じてしまう方も多かったのかもしれません。
事務所問題
松田聖子さんの事務所は自身が独立する際に設立した事務所で、『ファンティック』という個人事務所です。
松田聖子さんの兄が代表取締役を努め、松田聖子さんの母親が役員を務めている事務所です。
2012年に松田聖子さんが3回目の結婚に至った際に、当時マネージャーだった男性とも関係が続いていたそうです。
それに対して、家族からはマネージャーの男性と絶縁するように言われています。
それがきっかけとなり、松田聖子さんは『ファンティック』という個人事務所を退所して、マネージャーの男性と『melody fair』という事務所を新たに立ち上げています。
そして、松田聖子さんは『ファンティック』に所属していた神田沙也加さんも事務所から追い出したそうです。
その後、神田沙也加さん『ローブ』という個人事務所を設立しています。
松田聖子さんのあまりに身勝手な行動に振り回された神田沙也加さんは、母親に振り回されないように絶縁という道を選んだのかもしれませんね。
神田沙也加と松田聖子の絶縁(確執)理由は?2人の関係を調査!まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回の記事では、神田沙也加さんと松田聖子さんが絶縁(確執)している理由について調査しました。
<絶縁状態となった理由>
- 特殊な幼少期
- 中学時代の壮絶ないじめ
- 継父との渡米を拒否
- 松田聖子のスキャンダル
- 勝手な活動休止
- ギタリストとの交際に猛反対
- 村田充との結婚に猛反対
- 紅白共演での嘘泣き
- 事務所問題
絶縁状態となった様々な理由がありそうですが、神田沙也加さんも幼い頃から苦労を重ねてきていたことがわかりますよね。
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